三十代での教習所
今日は久々の休みだった。
現在無職なのだから毎日休みのはずなのだが、これが意外と忙しい。
無職になる一年程前に田舎に引っ越しをした。
若いうちは都会で暮らすことはなにかと便利で楽しいが、年をとると住んでいるだけで消耗する。
もとが田舎育ちのわたしには都会はうるさいわ臭いわ人が多いわで、夜な夜なレイトショーだ、クラブだ、バーだ、と遊び歩くこともなくなれば最早住んでいる意味は皆無だった。
僻地では困るが適度な田舎は良い。
そこそこに空気も良く静かで、食べ物も美味しい。
珍走するバイクにはいつか爆竹でも投げてやろうと思っていたが、ここではめったにそんな音は聞こえないのでたまに聞こえても微笑ましく感じるくらいだ。
ただひとつ困ったことにわたしは普通自動車免許を持っていなかった。
ただでさえ怠惰な性格なうえ若さを失いつつあるわたしに徒歩か自転車で買い出しはなかなかに辛い。
電動自転車を購入し一瞬日本一周旅行もできそうな気になったが、それも慣れてしまえば自転車に空気を入れることすら面倒だ。
そもそもこがねば前に進まない。
そういったわけで、楽に生活を送る為に運転免許を取得することにした。
当然教習所に通うわけだが、これが想像以上に辛い。
そこそこ大人になると人から怒られる機会はあまり無いもので、たまに怒られると過剰にダメージを受ける。
それがたまに、ではなく、基本毎日。地獄だ。
感覚で覚えろと言うが、それは成功体験を知っている人間だから感覚がわかるのだろう。
脱輪しかしたことない人間がいかにして成功の感覚を掴めるというのだろうか。
脱輪の感覚であれば、脱輪するより前にこれは脱輪するなと確信を持って脱輪できるほどに掴んだが。
S字コースに入った瞬間、脱輪するルートだけは瞬時にイメージできるほどだ。
免許は若いうちに取っておけ、というのは正しい、と否が応でも確信させられた。
根拠はないが若ければ感覚とやらも冴えているのだろう。
あと記憶力も。
そんなわけで、無職なのに朝起きなければならない。
毎日同じ時間に同じ場所に通い、家に帰れば試験に備えて予習復習までしなければならない。
今日も明日に備えて早めに寝なければならない。
無職なのに。